令和6年能登半島地震の被災現場を訪れて感じたこと(東氏からの報告)
全土研 幹事 東 君康
『令和6年能登半島地震』により被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。被災された地域、地区で緊急対応・復旧活動にあたられている皆さまに敬意を表しますとともに、活動の安全と被災された地域の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
2か月余りの間、被災された多くの方はどのような思いで過ごされているのだろうか。
先日の連休中の部活動を他の教員にお願いし、北陸訪問に当てた。朝晩の雨や小雪もあったが、おおむね3日間は天候に恵まれた。現地への交通手段がないため、車で石川県河北郡内灘町、七尾市、輪島市、珠洲市野々江町、正院町を中心に被災現状を知り、今後の防災教育やボランティア活動、授業に活かすために訪問した。金沢駅から比較的近い内灘町は液状化による人孔隆起に加え、電柱の傾斜、建物の全壊、半壊など、とんでもない状況が目に飛び込んだ。その後、輪島市に移動したが、朝市が開かれる場所とその周辺は、阪神淡路大震災時に火災で被害があった長田地区の様子を再び呼び覚ますほどの恐ろしい光景が拡がっていた。河原田川に架る真新しい赤色塗装がされた『いろは橋』と焼け焦げて鉄骨などが錆びて褐色になった輪島朝市周辺の対比が、胸を締め付けた。手を合わせ金沢に戻る車中で、自然の力の凄まじさを感じる気持ちと無力感が混在した。被災された方々の心中を思うと察するに余りあることであった。珠洲市では、建物の倒壊と液状化による人孔突出、津波による車の流出、家屋は倒壊し、その屋根が容赦なく道路を塞ぎ、今にも2次被害がでる現状だ。
ボランティアの方や家屋調査、荷物の運び出し、廃棄物の積み込みなどで、人の姿は確認できたものの、避難所等に避難されていることもあるのか、町そのものは静かで時間だけが過ぎている。
金沢側または富山側から支援するためのアプローチには道路の修復が不可欠だ。この期間の迅速な対応により、七尾や輪島、珠洲にはなんとか道路がつながった。もちろん、道路亀裂があちらこちらに見られ、うねりや道路と橋梁の継ぎ目は車底を何度も擦るほどの隆起がみられ、とても円滑に走行できる状態ではなかった。しかし、自衛隊や消防、警察の方々を筆頭に、建設業の尽力は大きい。がれきの撤去はもちろんのこと、珠洲市では水道が一部でようやく通り、傾いた電柱の垂れ下がった電線をあちらこちらで補修する様子、鉄道の測量、道路の応急的な修復処置などがおこなわれており、建設業に携わる人々の下支えを改めて感じた。被災した北陸への支援はこれからだろうが、多くの被災状況をみると胸が痛い。道路の修復、整備で安全に物資が輸送できるようにすることが前提であり、現地で宿泊できる施設もないために、ボランティアの皆さんは1日4時間程度の支援で終わりとなる。進退両難である。金沢と珠洲間は140キロ近くの距離があるため、人員と資材を運ぶ道路の整備が必須である。水道、下水などの整備も苦難を強いられていることが容易に想像できた。
左:隆起した人孔 右:倒壊したマンション
左:歪んだレール 右:道路の応急復旧処置
能登には、かつて七尾線の穴水から輪島、能登線の穴水から蛸島まで、のと鉄道が通っていたが、現在は両区間とも廃止になっている。現区間は被災後、急ピッチで復旧をおこなっており、和倉温泉と穴水の一部区間で数日後には復旧する予定である。人口減少により鉄道の廃止はさみしい限りであるが、道路同様、廃線跡を災害時に活用できる方法などはないものだろうか。自然を切り開き、人が住む空間を築き上げてきた祖先に代わり、災害時にも土木や建築の技術や経験を生かした取組を期待したいものである。そして、人々の暮らしを支えるインフラ整備の将来を高校生が中心となって議論に加わり、若者の発想やアイデアをどんどん出し合い、実践につなげていく取組が各学校で行われることを願って止まない。倒壊した建物の多くは阪神淡路大震災前の建築基準法内の建物と言われている。現地で理解できる面も多かったが、土木や建築領域は、造ることから修復、そして防災を強く意識した学習の融合が必要不可欠であり、国の基準改定も進む中、人の生命、財産を守るための土木や建築のあり方とは何か。生徒と深く考え、少しでも実践できる環境を整備したい。
さいごになるが、避難所を訪れることは遠慮したが、現地は思っていた以上に深刻な被害状況であった。東北同様、支援でできることがあれば、生徒とともに積極的に取り組みたい。